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マエストロの名人芸(藤原家隆)

魂の遍歴(九条良経)

九条良経の日記「殿記」は僅かな断片が残るだけで、藤原定家の「明月記」のように伝記的価値のあるものではない。しかし良経には生涯を通じて歌があった。家集「秋篠月清集」はその38年の生の軌跡を随所に伝えている。初々しい感動に溢れる「花月百首」、定家と作歌を楽しんだ「二夜百首」、一族の失脚と逼塞を反映した「西洞隠士百首」、兄の急死や定家の母の死に際して詠まれた「無常部」・「哀傷部」の歌、そして愛妻の死と弟の発狂という変事の最中に詠まれた「院初度百首」。

「院初度百首」の翌年に詠まれた「千五百番歌合」の百首は、前年の出来事から立ち直り、心の平衡を取り戻しつつある良経の姿を伝えている。前者の冬歌や恋歌に見られた、果てしない絶望と虚無とは影をひそめ、伝統的な歌題を端正に詠んだ歌が多く見られる。しかし、その中にも癒されることのない悲しみがいくつかの歌に歌われる。例えば次のような歌に。

霜の上におのが翼をかたしきて友なき鴛の小夜深きこゑ

嵐吹き空に乱るる雪の夜に氷ぞ結ぶ夢は結ばず

行きかよふ夢の内にも紛るやと打ち寝るほどの心やすめよ

めぐり逢はむかぎりはいつと知らねども月な隔てそよその浮雲


しかし季節はめぐり、悲しみの癒される時が来る。良経の春歌は、冬歌と対になって春の歓びを歌う。それは凍てついた心の融ける時である。

山桜いまか咲くらむ陽炎のもゆる春辺に降れるしらゆき

あしかもの下の氷は融けにしをうは毛に花の雪ぞ降りしく


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福島の花見山

地下鉄の車内で、福島市の観光協会のポスターを見る。
山が一面の花園の、花見山の写真が実に美しく、
日曜日に朝早く家を飛び出して、新幹線に乗った。
福島駅からバスで15分ほどで目的地に。
それは素晴らしい所だった。
視界一面が満開の花!

笑顔一杯の大勢の方々と、山道をゆっくりと歩く。
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花の木の間から見えた福島市街。美しい福島!
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写真コンペも開催中です。

老テノールの歌(顕昭)

この項を書きながら、『新古今集-後鳥羽院と定家の時代』(田淵句美子著、角川選書481、平22年)を参照している。簡潔に新古今時代を俯瞰した好著で、実に分かりやすく示唆に富む記述が多い。

しかし、分かりやすいというのは図式化ということでもあり、六条家の歌人たちは「旧派・敗者」という扱いである。顕昭については「六条藤家の歌学を大成させた歌学者としての誇りをもちつつ、歌語についての文献考証を謹厳に長々と展開している。(中略)すでに時代は顕昭を通り過ぎていた。」(同書82-3頁)とある。しかし、実際に彼の判詞を読めば、新風歌人たちを積極的に評価したり、定家の歌を慈円に勝たせたりした番もある。それらについては以前に書いたが、今度は彼の歌が「新派」の新古今歌人たちに影響を与えた例を見てみよう。

散りまがふ花も雪かとみるからに風さえしろし春の明けぼの
(二百十番右)

上句は古今集風の見立てで、下句が新古今風の秀句表現という、混淆した趣の一首。判者は「下句よろしくこそ侍めれ」と勝歌としている。淡彩で春の朝を描いた佳作だが、興味深く思うのは、この歌が新古今を代表する後鳥羽院の秀歌の源となっている事実である。

み吉野の高嶺のさくら散りにけり嵐もしろき春の明けぼの
(新古今133)

「千五百番歌合」の6年後に詠まれた最勝四天王院障子和歌の一首で、新古今に入撰した帝王調の歌。こうして顕昭の歌も後代の歌人たちに包摂されていった。
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